NHK カラーで見る太平洋戦争を見たφ(..)
とても昔の歴史の話のように思っていた太平洋戦争が、カラーで見るとぐっと身近に感じた。
今の私達と何も変わらない、自分も見覚えのある昭和の景色だった。
今から70年少し前、40歳の私が産まれる30年前。そんな風に考えると、とても昔の出来事という感覚が崩れていく。
当時の映像を見たり、本を読んだりすると何とも言い様のない憤り、わびしさ、悲しみ、様々な感情が出てくる。
私は余りにも当時の事を知らなすぎる。学校でも殆んど勉強しなかった。
「可哀想だったね」「戦争はいけないね」「戦争は怖い」
何も知識はないけど、そんな思いだけはみんな持っていて、それで終っている。
戦後の私達が「平和な時代に産まれて良かったよね」
発展途上国や戦争の起きてる国をみて「日本に産まれて良かったね」
と思っている。それで考えることが終わってしまっている。
知らないということは無関心と同じ。
無関心ということは、自分には関係ないと言っているのと同じ。
関係ないと思うのは、我々は平和的であるからと信じているから。
1つ上から見下ろしているのと同じ。ただ、今ここに産まれただけなのに。
自分の努力などではなく、たまたまここにいただけなのに。
後ろ向きの出来事だから、目を反らしたい気持ちは分かる。やっと戦争が終わって平和になって、前を向いて復興していこうという時に、わざわざ振り返りたくない。悲惨な過去から目をふせたい。前だけを見ていたい。アメリカさんの目もあるし…過去を振り返ってる余裕もない。戦後は全体的にそんな気持ちだったのかなと思う。
だけど孫世代になって、余りにも当時を知らないままで普通になっている。私もそうだ。
だけどたった70年少し前の悲しみや苦しさを、辛い過去だからと考えないでいいのか。
戦後、日本は総括をしなかった。反省だけして、ではどうすればよかったか、どうして起こったのか、回避する方法はあったのか…考えないといけないこと、学ばなければいけないことはとても沢山残されたまま反省や怒りで終ってしまっている。外交問題なんだか、言えない雰囲気にもなっている。
だからか大勢の人が分からない。
一人一人がちゃんと考えることができる時代にならないと。
子供にも教えていかなければいけないと痛感する。
私自信もそうだ。自分自身の自戒をこめて。
テレビなどを見て感じる違和感。
戦争はいけない
核はいけない
憲法は変えてはいけない
いけない…いけない…そう息巻いて主張してる人がいる。だけど北朝鮮の核の脅威が現実になってくると
アメリカは守ってくれるのか
ピンポイント攻撃はできるのか
体制を崩すにはどうすればいいか
対話か圧力か
平気でそんな話を始める。平和的な主張をしていた人達が、それはアメリカが日本の代わりに攻撃してくれるのか。日本を守るために、脅威を何とかしてくれるのか。その言葉の中には、当然「核」だって入っている。だって相手は核を持っているんだから。
平和な世界がいいに決まっている。戦争なんてないほうがいいに決まっている。
そんなの当たり前、誰も否定しない。
本質を考えないから出てくる矛盾。言っている本人も気付いていない。
責任のない立場の人が言う、無責任な正義。それを言っている方が楽である。誰にも非難されない、反対されない耳障りのいい言葉を吐いて、自分は平和的だと信じている。
だけど実際の脅威が出てくると急に出てくる矛盾。
私は誰にでもいい顔する八方美人より、時に厳しくても本質を教えてくれる人を信じたい。子供を大切に育てる親はそうだ。
子供達の未来が、いつまでも平和な世界であってほしい。幸せに過ごしてほしい。
だからちゃんと考える続けないといけない。
やっぱりセカイノオワリすっきやわぁヽ(o´3`o)ノ