ぬくもり
駅で過ごした戦争孤児の話がNHKでやっていた。
いかに今自分が生きている環境が幸せか、こんな時代があったのか・・・お腹の中が重たくなるような、なんとも言い様のない気持ちになった。
もしも自分がその時代のその立場だったら、負けずに生きていられただろうか
もしも自分がその時代の孤児の前を通り過ぎる立場だったら、優しい気持ちを持ってあげられていただろうか
人間の冷たさ。それは歴史を見ても感じる。硫黄島はとっくにアメリカから帰されて日本の領土なのに、なぜ遺骨収集をしないのか。外国は難しいのかなと思えるが、なぜあれだけの困難をしいて放置できるのか。日本という国の冷たさを感じた。
けれども、じゃあ平時でない非常時に自分も今の様な感覚を持っていられるのだろうか。やっぱり自分が大事。家族が大事。自分にとっての大切な人が大事。
その感覚は、孤児の前を何事もなく通り過ぎる人と同じなんじゃないのか。自分の中にある、とてつもない冷淡さに気付いて戸惑い、恐怖を感じた。
かつての戦争孤児だった方のお話。
何もかもが足りなかった、
食べ物が足りなかった
着るものが足りなかった
でも一番足りなかったのはぬくもりだった
ぬくもりが一番欲しかった
孤児となり、駅で過ごす人に対して向けられる自国民の冷たい差別の目線。だけど何が違うのか?孤児になってしまった人とそうでない人と。
何も違わない、だた運が悪かっただけ。ただたまたまそうなってしまっただけ。
「ぬくもり」
なにもあげられる物がない自分でも、せめてぬくもりをあげられる自分でありたい。そう教えてもらった。今の時代でも、いつの時代でも。