平成30年終戦記念日 今を生きる私達が出来ること

 

 

たった70年余り前、日本は戦争によって沢山の尊い命を失いました。現在も戦争世代と言われている方はいます。私の祖父はフィリピンへ行って戦ったと、亡くなった後知りました。様々な繋がりが残っている現在も、当時とは全く別の時代が流れています。そんな今を生きる私達に出来ることは何か、様々な局面で考えさせられます。

 

私は小学校2年生の息子を持つ母親です。親として子供の将来がより良い時代であってほしいという願いが、自然と政治や歴史を知るきっかけとなりました。そして、たった70年前に起きた戦争を全く知らない事に気付かされました。少しずつ知ることで辛く悲しい気持ちになり、またさらに疑問に思うことや知りたいと感じる事が増えていきました。

 

戦争によって亡くなった方々、深い悲しみや絶望をおった方々に思いを馳せる時、抱きしめて1人ではないですよ側にいますよと言ってあげたい、共に寄り添い少しでも理解することの出来る自分でありたいという気持ちになります。しかし今を生きている私に、それは出来ません。

 

以前、原爆被害者の語り部のおばあさんが最後に言った「知ってほしい」という言葉が、とても印象に残っています。なぜ自分の辛い記憶を呼び起こすのか、差別的な目で見る人もいるなか懸命に伝えようとするのには、私達が学ばなければならない大切なメッセージがあるんだと感じました。

 

平和を願うことや、平和な世の中を作る為には「戦争はいけない」「人殺しはいけない」と言っているだけでは出来ません。なぜあの戦争が起こってしまったのか原因を探り、他国また相手国からの目線でも考えないと本質は見えてこないと気付きました。その上で、当時どうあるべきだったか、どうすれば良かったかをしっかりと考えていく事が、戦争を知らない世代の責任なのだと思います。歴史は学ぶものであり、批判や判決を下すものではありません。そして歴史から学ぶということが、当時の人達の「知ってほしい」という想いに繋がるのではないかと思います。

 

祖父が行ったフィリピンは激戦区で、四人に三人の兵隊さんが亡くなったと言われています。そんな歴史本の白黒写真の中に祖父もいたなんて、と聞いたときはとても驚きました。とても優しく涙もろく、少し気の小さい、虫が大好きな、そんな祖父でした。当時の事はあまり話さなかったようですが、どんな経験をしどんな思いをしたのか、もし生きていたら聞いてみたかったと思いました。それは現代を生きる私達にとって大きな学びとなるし、「生きていてくれて本当にありがとう」と何よりも伝えたかったからです。

 

親として子供たちの幸せを願うこと、平和について考える時に、私は「知る」という事から始めたいと思います。そして息子が歴史を学び疑問を訴えた時、私なりの回答を答えてあげられるそんな母親でありたいと思います。過去に起きた戦争を学び、その上で平和について考える、そうすることで自分なりの考えを見つけられるのではないかと思います。

そして今、知るという作業の中から「正義」とは何だろうと漠然と疑問が浮かび、答えを探しています。手探りでもいつか、自分なりの答えを見つけたい。考え続けていきたいと思います。